前書き
そして、現在は、家族4人で仲良く暮らしています。
さて、今配偶者と別居しているあなたは「復縁したいけどどうすればいいかわからない」という状態にあると思います。
相手に対する絶望や怒りを感じつつも、それとは反対の愛情や申し訳なさなど、、、色々な気持ちが入り混じり、とても悩んでいることと思います。
その気持ちは、すごくよく分かります。
本サイトでは、配偶者と別居して悩んでいる方にとって少しでもお役に立てるように、私の体験談をすべて書き綴っています。
配偶者との別居に悩む方・復縁を望む方にとって、少しでも参考になればうれしく思います!
この記事では、「別居から復縁するまで」について書きます。
◆私の体験談です↓
①妻との出会いから結婚まで
②結婚から会社を辞めるまで
③会社を辞めてから別居に至るまで
④別居から復縁するまで ⇐今ここ
◆妻・夫との別居から復縁する方法まとめ ⇐人気記事
もくじは以下のとおりです。
妻・子供との4年間の別居から復縁した体験談 ④別居から復縁するまで
そして別居生活へ
さて、先にも書いたとおり、元々里帰り出産で実家に帰る予定だった妻が、私との喧嘩をきっかけに長男を連れて早く実家に帰ってしまったのです。
その後のことを書いて行きます。
里帰り出産後の予定
妻が私に愛想を尽かして実家に帰った理由は、これまでの私の行いで振り回してしまったからです。
旦那が家庭に参戦しない中、これから長女が産まれて子供2人の世話をしながら生活することに不安を覚えたのです。
また、私が前からはなしに上がっているマイホーム購入のことを、妻とちゃんと話せずに先延ばしにしていたことも原因でした。
当時の私は「資格を取る」ことを最優先に考えており、それ以外のことにはかまっていられなかったのです。
早く資格を取って一人前になることが、一番家族のためになる! と思っていました。
さて、妻と話しをするために、私は何回かにわたり休日に妻の実家に足を運びました。
妻はなかなか本音を話そうとしませんでしたが、私があまり家庭に関わらないことが原因でこうなったことは間違いなさそうでした。
長女出産の後、夫婦どのようにやって行くか? それを話し合わなければなりません。
私が勉強に費やしている時間を減らして、子供の面倒を見たり、マイホームのことを調べたりと、家庭のことをしっかりやる以外に方法はなさそうでした。
ですので、私はそうすることを約束しました。
少しの時が経過し、長女出産の日となりました。
私は朝早くにもうすぐ産まれると連絡を受け、妻の実家近くの産婦人科に向かいました。
私が着いた時には、既に長女は妻のお腹の中から出てきていました。
控えめに泣く長女はとても可愛らしかったです。自分の子供を可愛いと思うのは親の本能なのでしょう。
何日間か私も産婦人科に泊まりました。
妻の様子は、怒って実家に帰る前とは違い、少しは話しができる状態でした。
私が家庭のことを疎かにしないことを約束した上で、今後のことを話し合った結果、出産後の妻の里帰り期間は3ヶ月間にすることに決めました。
守られない約束
結婚する前から妻がマイホームを持ちたがっていることを知っていました。妻にとって、マイホームはずっと何年も前から見ていた夢だったのです。
ですので、私は家を建てる計画を立てるために、1人でハウスメーカーを回り色々と情報を集め始めました。
個人的な事情を言えば資格を取って落ち着いてから家を建てたかったのですが、妻とはずっと前から家を建てる約束をしていたのです。
それに、やはり家族4人で住むための環境は整えなければなりません。
妻と子供が帰って来てから本格的に動こうと考えていたのですが、その下準備はしておいた方がよいと考えました。
相変わらず自分は日々仕事と勉強で忙しかったのですが、前よりは家族のために時間を割くつもりでいました。
そうこうしている間に、妻が里帰りから戻ってくる日が近付いて来ました。
戻ってくる日まで残り2週間となったある日、仕事の後に妻から電話がかかって来ました。
突然、私の地元で地震が起こった場合の被害が気になる、、、と言い出したのです。
私は、「日本全国どこでも地震は起こり得るし、そんなこと気にしても仕方ないよ。」と言いました。
でも、私の地元では特に被害が大きくなると考えられるから戻るのが怖い、、、と言うのです。
私は「は?? じゃあ、何で会社辞めた後に引っ越しについて来たんだよ! 今になってそんなこと言い出すのおかしいだろ!」と声を荒げました。
その後、何日も続けて仕事の後に電話をかけてきて同じことを言う妻。
しまいには「地震の被害が怖すぎるから戻りたくない。自分の実家近くで暮らしたい。」と言い出したのです。
「は??」私はそんなことを聞いて黙っていられるわけがありませんでした。
「じゃあ、オレはどうなるんだよ! 困らせるようなこと言うなよ! 自分勝手もいいとこだろ!」と私はかなり怒ったと記憶しています。
しかし、何日も話しているうちに、だんだんと妻の本音が分かってきました。
妻の本音は、私の地元に戻って来ても知り合いもいないし、私も勉強ばっかりしていて家庭を放っておくだろうから戻りたくない!
ということだったのです。
ふざけるるな!!! オレはそういうところを少しは直そうとしてたんだっ!!
と怒りに震える自分がいました。
妻と話した数日後、今度は妻の母親から電話がかかって来ました。
そして、私と義母の間で大喧嘩になってしまったのです。
向こうとしては、私のこれまでの行いが気に入らないということでした。
・その後会社を辞めて起業すると言い出したこと
・会社を辞めて私の地元に引っ越した後に家庭を放っておいたこと
など、これまでに妻を振り回したことへの不満が積もっていたようです。
私もどうしても言われっぱなしでは気が収まらなかったので、言いたいことは全て言い返しました。
妻が何も話し合うことなしに実家に帰ったことでどれだけこちらが傷ついたか、気持ちをぶちまけました。
普通に考えて、完全に決別していておかしくない状態だったでしょう。
どうやって話しを終えたか覚えていません。
いずれにせよ、妻には私の地元に戻ってくる気がないことがはっきりと分かりました。
離婚を考える
妻は戻る気はないの一点張りで、私は相当に腹が立っていました。
その時の自分の怒りのメカニズムは、以下のとおりでした。
↓
●資格を取るために勉強に時間をとられることは理解していたはずだ
↓
●にもかかわらずある日突然怒り出して勝手に実家に帰った
↓
●その後私の地元に戻ろうとしない
↓
●腹がたつ
私がそれまでに、色々と自由にやり過ぎていたことは間違いありません。
妻は勉強への理解をしていたとは思いますが、一日一時間も家族の時間が無い状態だったことに不安を感じ、家族としてやっていくことが怖かったのだと思います。
ですが、このときの私は未熟なところもあり、そのことが分かりませんでした。
自分は自分なりに家族を幸せにしたいと思って、資格の勉強を頑張っていました。
そんな自分の努力を、ないがしろにされたような気分でした。
もう戻りたくないとなれば、残された選択肢は1つ。
離婚しかない。
そう考えるようになっていました。
しかし、何からはじめたらいいか分からなかったので、私は離婚について調べることにしました。
里帰り出産のリスク
さて、里帰り出産について、少しお話ししたいことがあります。
世間一般のはなしとして、里帰り出産で実家に帰った妻が戻りたくないと言い出すことは、わりとあるらしいです。
妻が不満を抱えた状態で里帰りすると、そっちの環境を良く感じてしまうものなのかも知れません。
自分の他にも、そのようになった夫婦のはなしを何回か聞いたことがあります。
もっとも、夫婦仲が全く良好ならば里帰り出産しても何の問題も無いとは思いますが。
それでも、男性は1つのリスクとして頭に入れておいた方が良いように思います。
別居から復縁までの道のり
離婚について調べる、男が背負わなければならないもの
先の続きです。
私は必然的に離婚を考えるようになっていました。
離婚についてネットで情報収集しつつ、会社員時代の友人で離婚経験がある者に電話して色々と話しを聞いたりもしました。
まず、離婚は夫婦どちらか一方の意思だけでできるものではなく、両方の同意がなければできないということが分かりました。
また、離婚に際して男はどうしても金銭的な負担が大きくなるのが実情のようです。
●結婚してから築き上げた財産は夫婦で 1/2 ずつするのが基本
●子供がいると養育費を払わなければならない
ということが分かりました。
何で自分が働いて稼いだお金を妻に渡さなきゃならないんだ?? とその時はかなり苛立っていました。
また、子供が小さい時期に離婚した場合、母親の方から放棄しない限り父親が親権を取ることはまず無理なのです。
そして、親権を取れなくても父親はそれなりの金額の養育費を払わなければならないのです。
養育費は子供の権利なので、払わなくて良いなどということは絶対になく、20歳になるまで支払いが続きます。
子供のことを可愛いと思う気持ちは、嘘偽りなく本当でした。
ただ、子供と一緒に住んで育てながらであればお金をかけるのは当然だと思うのですが、離れてからお金を払い続けるのはどうしても嫌でした。
妻にお金を払っているような気分になるからです。
その時期の私の頭は、完全に怒りに支配されていたのです。
妻と電話越しに少し話すと、やはり向こうも別れることを考えているようでした。
お互いに歩み寄るつもりはないので、少し話すだけでも喧嘩になる状態でした。
どれだけ話しても水掛け論が続くだけでキリがありませんでした。
はっきりと分かったことは、妻は離婚に際してやはり財産の半分と養育費は貰いたいということでした。
私は離婚はかまわないがお金は払いたくないから、いかに払わなくて済むようにするか? を考えていました。
財産の半分を取られるのは仕方がないとしても、ずっと支払いが続く養育費は何とかして下げたい。
養育費を下げる方法は無いだろうか??
その時の自分はこんなこと↑ を本気で考えていたのです。
(今思えば最低ですが。)
また、後で調停や万が一裁判になった場合に、離婚の原因として自分が不利にならないように証拠を集めようとしていました。
私が大企業を辞めて家業を継ぐのは妻も同意の上だったのにもかかわらず、妻は約束を破った
と今回のことを捉えることができるだろう、と考えていました。
離婚の原因が相手にあることを証明できれば、朝廷や裁判では自分が優位に立てるのです。
離婚の意思を曖昧にしておく
上記のことがあり、養育費を下げる方法を考えるために、少しの間自分の離婚の意思を曖昧にしておいた方が良いと考えました。
本当はすぐにでも別れたかったです。
そういうわけで、妻と話す時には敢えて怒りを抑えるようにしていました。
こちらの怒りをぶちまけて向こうを刺激すれば即別れるという流れになるからです。
とにかく我慢することにしました。
私は、日々仕事が終わった後は試験勉強をしなければならないので、この夫婦の問題から頭が離れていることも多かったです。
妻とはたまに電話で話していました。
記憶が定かではありませんが、主に子供のことを話していたと思います。
下の子は生まれたばかりで一番手がかかる時期です。
妻の母親の力を借りて何とか育児をこなしているようでした。
私の怒りは収まることはありませんでしたが、養育費を下げる方法を考えるまでの少しの間の我慢だと自分に言い聞かせていました。
離婚を踏みとどまったの理由は子供が可愛かったから
程なくして、妻は実家を出て近くのアパートで自分と子供2人の3人で暮らしたい、と言い出しました。
賃貸料は、自分が結婚前に貯めたお金を使うということでした。
実家を出る理由はおそらく義母の干渉が嫌だったからです。
義母は、娘に対してやや過干渉でした。
どうせ長い時間ではないし、妻の口座からお金を出すならまぁいいか、、、と思い許諾しました。
しかし、賃貸契約者は収入がある人間でなければできないから、私の名義となりました。
生活費も結局は自分が出さなければなりません。
妻とは、何となくたまに Skype(テレビ電話)で話していました。
息子は2歳になったばかりで、画面越しに私を見ると「パパ、パパ!」と喜んでいたました。
娘は画面越しにハイハイをしたり、つかまり立ちの練習をしたりしていました。
まだ人を認識できてはいないけれども、私を見るとたまにニコニコと笑っていました。
時間に余裕がある週末は、家族がいるアパートに会いに行くこともありました。
子供が可愛かったからです。
子供と会うとやっぱり後ろ髪を引かれる気分になるものです。
どうしても気持ちが揺らぐ自分がいました。
だが、夫婦の間では、復縁に繋がるような話しは全然できませんでした。
話しは相変わらず平行線のままでした。
お互いに自分の非は認めたくなかったのです。
私と妻それぞれの非は以下のとおりでした(私が感じていた内容)。
●妻の非は、ちゃんと話し合いをせずに一方的に家から出て行ったこと
私に原因はあるが、すべて自分が悪いわけではなく妻にも反省すべきところはしてもらわないと困ると、考えていました。
結局話しても水掛け論になるのです。
自分の気持ちは妻からは離れていましたが、それでも子供はどうしても可愛いかったです。
結局子供の可愛さに後ろ髪を引かれて、結論を出せないまま年末を迎えたのでした。
私と妻、双方を繋ぎとめたのは、間違いなく子供の存在でした。
子はかすがい
という言葉がありますが、これは本当でした。
子供の可愛さが夫婦を繋ぎとめたのです。
たまに家族に会いに行く生活
さて、私は家業を継ぐためにある士業の資格をとらなければなりませんでした。
そのため、平日の早朝や仕事の後は勉強して過ごしており、土日は基本的に丸一日がっつりと勉強しなければなりませんでした。
その勉強が忙しくて家族の時間がとれなくて別居状態にまでなったわけですが、幸か不幸か家族がいない状態になると存分に時間が使えたのです。
人生の方向転換のため、この資格取得だけは死んでもやり遂げなければなりませんでした。
ですので、離れ離れの妻との関係をどうするか? 話しを進めなければならないことは間違いありませんでしたが、勉強に集中し出すとそっちにかまってられない状態になっていました。
勉強に集中している間は完全に忘れているのです。
普通の人の感覚で言うと、それはどうか? ということになるかも知れないが、良くも悪くも自分がこのような特性を持っていたことも即離婚に至らなかった理由にもなっていたと思います。
私には、このように↑ 資格取得という目標があったのです。
さて、家族とはどうしていたかというと、だいたい1月に1回週末に会いに行っていました。
家族に会いに行く日でさえ私は、道中の電車の中では試験勉強用のテキストを眺めていました。
それぐらい勉強に集中していたのです。
家族と会ったときは、モールに買い物に出かけたり、公園や遊園地に行ったりすることもありました。
傍から見たら普通の親子4人の家族に見えたでしょう。
妻とも普通の会話ぐらいはできました。
子供は少しずつ成長していました。背が伸び、徐々に言葉を覚えて、人も認識できるようになっていました。
長男は完全に私のことを父親と認識していたし、長女も分かるようになっていました。
しかし、自分としては、今後どうしたいか分からなかったです。
妻もそうだったでしょう。
たまに夫婦で今後のことを話すと、やはり気持ちの行き違いがあるのです。
妻は相変わらず私の地元には戻りたくないようでした。
自分としては、妻の地元が学生時代からずっと住んでいたところだったから、再びそこに戻っても良い気持ちが少しありました。
ただ、ああいう風に家を出て行った妻のことをどうしても許せなかったのです。
そこを反省してもらわない限り、どこでどう暮らしてもやり直せないと感じていました。
お互いがお互いに反省を求めていたのです。
自分の両親
私の両親は、妻が出て行ってからは妻に対する不信感が募り、たまにそれを私に言ってきました。
一言で言えば、何で別れようとないんだ?
ということでした。
会社勤めしていた頃と比べて、両親との距離が近くなったことは私にとってストレスになっていました。
私は、何か言われる度に、自分達のことは自分達で決めさせろ! と怒りました。
妻に対する不信感はもちろん私も持っていました。先にも書いたとおりです。
だから妻のことを悪く言われても、かばうことはでききませんでしたが、自分たち夫婦のことで両親にどうこう言われたくはないのでした。
妻が出て行ってから、1年半くらいは色々と言われることがありましたが、あるとき私がものすごく怒り狂って
「親からどうこう言われることが、自分にとってどれだけ負担になっているか考えろ! 何か言われれば言われるほど怒りしか湧かないんだよ!」
とこの時の自分の気持ちをすべてぶちまけ以降は、何も言わなくなりました。
自分は元々干渉されることが嫌いなタイプなので、すぐ近くの人間からであっても「ああしろこうしろ」と言われることが耐え難かったのです。
そのことを伝えてからは、両親は何も言わなくなりました。
離婚を考えることはあった
さて、周囲の意見はどうでもよくて、自分のことは自分で決めたかったのです。
それでも、友人に妻のことを少し話したこともあり、「俺だったら別れる」という意見をもらいましたが、それもやはり当てにはならないと思いました。
その立場に置かれているのは自分だからです。
家族のことは、仕事のように理屈だけで割り切ることが難しいものなのです。
そりゃぁ、自分だって他人のこういう話しを聞けば、「別れた方がいいんじゃない?」と言うと思います。
でも、自分が当事者であると、他人の意見が無責任に感じられて仕方がありませんでした。
他人は意見を言ってもそれ以上のことはしてくれれないし、やはり自分達のことは自分達で決めたかったのです。
だが、自分はどうしたいのか? が分かりませんでした。
先にも書いたように、日々の私は仕事と勉強で忙しく、夫婦のことに頭を向けていられない状態でした(本当は向けなければならないのですけどね)。
こうしている間に日々は流れて行きました。
私は時間に余裕があるときに家族に会いに行く生活を続けていました。
変化があったことと言えば、たまに子供を私の実家に連れてきて何日か泊まらせたりするようになったことでした。
一時期の妻は子供を私の両親に会わせるのも嫌だ! と言っていましたが、その気持ちは変わっていました。
私が継続的に会いに行っていたため、子供が私を慕っている様子も見ていたからでしょう。
私が家庭のことをしっかりやってくれれば戻ってもいい、というようなことも言うようになっていました。
ですが、妻の気持ちがどこまで本当か、分かりませんでした。
それに何回も書くように自分自身がどうしたいか? が分からなかったのです。
私の父母は孫と遊ぶのがとても楽しそうでした。
こんな風にしてたまに孫が実家に来ることで、私の両親の怒りが徐々に収まって行ったように思えます。
ですが、私としてはまだ妻と両親を合わせるのは嫌でした。
どう間を取り持ったらいいか? 分からなかったからです。
そんなあるとき、私の地元近くのテーマパークに家族4人で行くことになりました。
その前日、家族は私が住んでいるアパートに泊まることになったので、子供2人を連れて実家に顔を出しました。
父母はいつも通り喜んでいました。
そして、「こっち来たときは〇〇さん(妻)も連れてきなよ」と言い出したのでした。
自分としては、「え? 会う気あるの?」という感じでしたが、以前に感じていたような不信感はもう無くなっているようでした。
時間の経過とともに、いつの間にか訪れた大きな変化でした。
気持ちが前向きになったり、後ろ向きになったり
私は夫婦としてやり直したい気持ちと、離婚して自分一人で生きて行きたい気持ちの両方が混在していました。
妻と楽しく話すことができた日はやり直したいと思いましたが、妻と会っているときに不機嫌だったり喧嘩したりしたときは別れたいと思うのでした。
ちょっとしたことで感情が揺さぶられる状態でした。
「やり直せるかも」「やっぱり離婚したい」と時と場合により、異なる気持ちが湧いてくるのです。
さて、先に書いたテーマパークに行った日に、私は妻と些細なことで喧嘩してしまいました。
私も妻も風邪を引いている中、テーマパークで動き回り、子供の面倒を見なければならないので余裕が無かったのです。
自分としては、忙しいし大変なのに、別居中の家族のために頑張っているつもりでした。
そんなときに文句を言われたりすると、やはり離婚に気持ちが傾くのです。それからしばらくは離婚することを考えるようになりました。
お互いが反省していないと意味が無い
やはり離婚か。
自分に対して感謝の気持ちを持っているように思えない妻と一緒にいるよりも、新しい人生を歩んだ方が自由だし幸せなのではないだろうか?
と考えるようになっていました。
嫌なことがあるとそのように考えてしまうのです。
少しの喧嘩で気持ちが揺さぶられるのは、結局は自分と妻の信頼関係が回復していないからでした。
妻が自分を必要としていないと、やり直すことは無理です。
先のテーマパークでのことがあってから、しばらくは妻と会っていませんでした。
そして、その年の資格の試験日も近付いて来ました。
そうなると試験のこと以外に頭を使っている余裕は無くなるのです。
一年間の勉強の努力を無駄にするわけにはいかないからです。
試験が終わるまでは、一旦夫婦のことは棚上げしておかなければなりませんでした。
そして、試験が終わった後、電話で妻と話しました。
妻が自分を必要としているのか? 妻の気持ちを試したい自分がいました。
「このまま夫婦関係を続けても上手くやれそうにないから別れないか?」と切り出してみたのです。
妻は思った以上に動揺していました。
「そうやって私に全てを押し付けて逃げるの?」
「子供は邪魔なの?」
「・・・」
と色々なことを言われました。
私は私で
「お前はちゃんと自分がやったこと反省しているのかよ?」
「ちゃんと反省の弁を聞かないと信用できないよ」
という感じのことを話しました。
妻も
「じゃああなたは反省してるの?」
と同じ言葉を切り返してきました。
私はと言うと、実際に申し訳ないことしたと思っていました。
何回も会話の中で、それは伝えたつもりでした。
ただ、どうでしょう?
本当にちゃんと謝っていただろうか?
相手に伝わっていないなら、謝ったことになっていないのではないか?
でも改めて謝るのも何かしゃくに障る。
と色々な気持ちが交錯していました。
私は電話を切った後、少し落ち着いてから、ここまでのことを思い起こしてみました。
結婚した後に仕事のことで色々と妻を振り回してしまったことは間違いありません。
そのことを改めて詫びるた方が良いのか? でも、これまでだって詫びてきたのに、また詫びるのか? なんかしゃくにさわる。。
いや、詫びたと言っても心を込めて詫びれていないかも知れない。申し訳ない気持ちをちゃんと言葉にしてみよう。
ただ、そうは言っても妻にも反省はしてもらわなくては困ります。
どちらか一方だけが反省するだけではダメだ。
私の反省の弁を誠心誠意伝えて理解してもらい、反対に妻の反省の弁も聞きたかったです。そして、それが本当だと思えれば妻を信じることができてやり直せるかも知れない、と思っていました。
そして、妻と話したときにこれまでのことを誠心誠意謝りました。
「これまで散々振り回してすまなかった。自分だけのことだけではなく、家族のことを考えて行動すべきだったと思う。試験勉強にしたって、一日1時間しか家族の時間がないような状態にならないように工夫すべきだったと思う。これからは、自分のことだけでなく家庭のこともしっかりとやりたいと思う。」
妻にも反省してもらわなければならないことも伝えました。
「後からでもメールでかまわないから、反省していることをちゃんと示してほしい」と伝えました。
日々育児で忙しいから、妻はなかなかメールを送る時間を作れませんでしたが、毎日少しずつ文章を書きメールを送って来ました。
長い文章を読んだところ、これまでとは違いしっかりと反省していそうでした。私は電話でも話して、そのことを確かめました。
私は自分の未熟さがようやく分かるようになっていました。
そして、妻も同じ気持ちであることが分かったから、何とかやり直せるかも知れないと思いました。
しかし、今後どのように立て直せば良いのか?
お互いにとっての決め手は一緒に生活する時間が長くなったから
既に別居してから3年の月日が流れていました。
先にも書いたように私は日々仕事と試験の勉強を続けており、ようやく資格取得の目処が立ったところでした。
(まだ、合格と決まったわけではありませんでしたが、直前に受けた試験の感触は良かったのです。)
要するに少し余裕ができたタイミングだったのです。
距離を縮めるためには、やはり一緒に生活する時間を長くした方が良いだろうと思いました。
色々と考えた結果、私は月の1/3 から半分ぐらいの期間を、妻と子供が暮らすアパートで一緒に生活することにしました。
家業は自営業なので、父の了解をとれば融通はききます。
妻の実家は他県だったので私の職場とは距離がありましたたが、今の時代クラウド環境がしっかりしているので、幸いどこにいてもある程度仕事を回すことはできたのです。
長男が幼稚園の年長、長女が年少になったところでした。
土日だけでなく、平日も家族と一緒に過ごすのは久しぶりでした。
子供たちはいつも幼稚園から帰って来たら、パソコンに向かって仕事している私のところに真っ先に寄ってきました。
私は子供たちの笑顔を近くで見れることが、こんなに良いことだとは! と感じるようになっていました。
半同居生活を数ヶ月続けた後、私が受験した試験の結果発表の日になり、合格していることが分かりました。
すべての試験が終わり、資格試験のプレッシャーからは完全に開放されることになったのでした。
普通の家庭はこういうものなのか、という感触を何となく自分の中で感じるようになってきていました。
妻も以前の自分とは違うことは分かったようでした。
このようにして徐々に徐々に、普通の家庭の感覚を作って行きました。
来年、長男が小学生になるけれども、どこの小学校に入学させるか?
自分も資格取得が終わったことだし、私の地元に戻るのならばタイミング的にそこしかないだろう、と思っていました。
ただ、長女は幼稚園の途中で転校させることにはなります。
そして、妻に戻らないか? と話しを切り出したところ、了解したのでした。
あれほど私の地元に戻ることを嫌がっていた妻がです。夫婦の間に信頼関係が戻った瞬間だったと思います!
私の地元のことを妻は全然知らないので、私が率先して長男の小学校と娘の幼稚園のことを色々と調べました。
(私も地元に戻ってから、ずっとこもって勉強していたので、あまり分かっていなかったのですが)
そして、小学校、幼稚園とも決めて、徐々に戻るための準備を整えることにしました。
後は家を買うことも考えていかなければならないだろう。
以前はまったくそこに気持ちが向かわなかった私でしたが、試験に合格してからはそういうことを考えれる心の余裕ができていました。
この頃、ようやく普通の家庭の父親に近づいてきたのかも知れません。
そして、1年の月日が流れ、再び私の地元に引っ越すことになったのでした。
4年間の別居の末の再スタートでした。
復縁してからそれ以降はどうか
さて、妻と復縁してから4年間の月日が流れました。
今は何ごとも無かったかのように、穏やかな日々を送っています。
お互いにあの頃のことを持ち出して、相手を攻め合うこともありません。
それはタブーだと暗黙の了解になっています。
もちろん、日々の小さな喧嘩はありますが、根本的に問題になるような喧嘩には発展しません。
あの日々は何だったのだろうか?
お互い今よりも若かったが故に起こってしまったことなのかも知れません。
私は、今後も妻・子供と一緒に歩んで行きたいです。ごく自然にそう思います。
次の記事はこちらです↓
◆私の体験談です↓
①妻との出会いから結婚まで
②結婚から会社を辞めるまで
③会社を辞めてから別居に至るまで
④別居から復縁するまで
◆妻・夫との別居から復縁する方法まとめ ⇐ 人気記事